学園構成

「高い自己目標」と
「楽しい学校生活」の調和


本校は、広く世界の発展と調和に貢献する先進的人材を育成する、
「学校法人日本工業大学」グループの一校です。

沿革

明治40年 12月18日 設立認可、校名、東京工科学校。設立者古川武一、田岡忠次郎。
初代校長に理学博士徳永重康就任。校舎は小石川区水道端町。
明治41年 2月 開校、生徒数70名。季節に因み帽章は梅花を交錯する。今日の、「工高」の二文字が「工科」となっていた。学科は電工科、機械科、建築科、採鉱冶金科の4科。
明治42年 10月 第2代校長に工学博士近藤虎五郎就任。
明治44年 8月 校舎神田錦町3丁目24番地に移る。
明治45年 3月 土木科設置。
大正2年 1月 古川武一校主退任。古賀廉造校主に就任。
大正5年 4月 伯爵大木遠吉経営を継承し顧問に就任、長峰安三郎を校主に任命。
大正5年 12月 第3代校長に広部徳三郎就任。
大正6年 2月 第4代校長に千家尊福就任。
大正7年 1月 第5代校長に子爵梅小路定行就任。
大正12年 9月 関東大震災により、校舎全焼。
大正15年 2月 顧問大木遠吉逝去。
大正15年 6月 伯爵大木喜福顧問に就任。
昭和4年 1月 校主長峰安三郎退任、大木喜福校主に就任。
昭和5年 6月 鉄筋コンクリート5階建校舎落成。
昭和6年 6月29日 実業学校令工業学校規定による小学校卒業を入学資格とする5年制(甲種)の東京工業学校を設置、昼間部に機械科、夜間部に土木科を置く(夜間部は高等小学校卒、4年制)校長に大木喜福就任。
組織を変更し、財団法人東京工科学校設立。理事長に大木喜福就任。
昭和10年 3月 東京工科学校の校名を東京高等工科学校と改称、(学制を改めて、小学校卒を入学資格とする3年制の乙種工業学校とし、前記甲種工業学校と併設、昼間部に機械科、建築科を設置、夜間部は従来通りとする。)
梅小路定行校長を退任。校長に大木喜福就任。
昭和10年 10月9日 法人名を財団法人東工学園と改称。
昭和15年 6月 東京工業学校後援会設立。初代会長に宇根元弘就任。
昭和18年 8月 長野県上高地に健民修練所を開設。(昭和18~19年)
昭和18年 12月 東京工業学校の学科を昼夜共に、機械、建築、土木の3科とする。
昭和20年 2月 戦災により木造校舎、実習工場及び設備、鉄筋コンクリート校舎1・2階焼失。
昭和22年 4月 新学制により東工学園中学校を設置。(22年4月1日認可)
昭和23年 4月 東京工業学校を廃止、東京工業高等学校を設置。(23年3月10日認可)校長に大木喜福就任。
昭和23年 4月 目黒区駒場町751番地の現在地に校舎落成、神田より駒場に移転。
昭和23年 5月 東京高等工科学校設置。(23年5月13日認可)
昭和24年 4月 校長大木喜福退任。古川光校長心得に就任。
昭和25年 4月 第2代校長に古川光就任。
昭和26年 3月14日 法人名を学校法人東工学園と改称。(26年3月7日認可)
昭和31年 9月 木造校舎(6教室)落成。
昭和32年 4月 全日制土木科を廃止。機械工作科を設置。
昭和33年 6月 鉄筋第1校舎完成。
昭和33年 11月 創立50周年記念式典を行う。
昭和35年 4月 東工学園中学校生徒募集再開。
昭和36年 12月 新潟県赤倉に東工山荘(鉄筋3階建)完成。
昭和37年 4月 全日制課程に電気科、工業計測科、定時制課程に電気科を設置。鉄筋第2校舎完成。
昭和39年 5月 臨海施設富戸寮7月完成。
昭和40年 3月 鉄筋第3校舎完成。
昭和42年 4月 日本工業大学開学。(42年3月25日設置認可)。学園創立60周年を迎える。
昭和42年 5月 東京高等工科学校を再開、普通高校卒業生を対象とした1年制の日本工業大学進学コースを開設。(昭和42~51年度)
昭和43年 11月 創立60周年記念式典を行う。
昭和44年 3月 校長古川光退任。
昭和44年 4月 第3代校長に窪田宗英就任。
昭和44年 9月 中華民国台湾高英高級工商職業学校と姉妹校盟約を締結。 
昭和47年 10月 地下トレーニングセンター(940平方メートル)(現実習工場)完成。
昭和47年 11月 理事長大木喜福逝去。
昭和48年 1月 理事長に浅田寛二就任。
昭和49年 3月 定時制募集停止。
昭和52年 4月 機械工作科を機械科に統合。第・類日本工業大学進学コースを新設。
昭和52年 9月 東工赤倉山荘(1,765平方メートル)増築。
昭和52年 11月 創立70周年記念式典を行う。(於日本工業大学)
昭和55年 3月 校長窪田宗英退任。
昭和55年 4月 第4代校長に小笠原朋憲就任。
昭和55年 7月 理事長に窪田宗英就任。
昭和56年 9月 図書館及び空調実験室完成。
昭和57年 3月 日本工業大学大学院工学研究科修士課程設置。(57年3月17日認可)
昭和58年 5月 東工学園下田寮完成。(土地6,414平方メートル)
昭和61年 7月 全校舎冷暖房工事着工。(12月暖房開始)
昭和62年 3月 日本工業大学大学院工学研究科に博士課程設置承認。
昭和62年 4月 電子機械科設置。(62年1月10日認可)
昭和62年 6月29日 創立80周年記念式典を行う。(於帝国ホテル)
昭和62年 9月 ミニSL国際フェスティバル開催。(於大学23日~27日)
平成元年 4月 電気科を電気電子科に名称変更。
平成2年 4月1日 学校法人東工学園を学校法人日本工業大学と改称。東京工業高等学校校名を日本工業大学付属東京工業高等学校とし東工学園中学校を日本工業大学付属中学校と改名。
平成3年 2月26日 理事長窪田宗英逝去。4月19日学園葬。(於青山葬儀所)
平成3年 3月 理事長に大川陽康就任。
平成4年 4月 工業計測科を制御システム科に名称変更。(学年進行)
平成5年 7月 副理事長に小笠原朋憲就任。
平成6年 4月 校長小笠原朋憲退任。
平成6年 4月 第5代校長に小野幹郎就任。
平成9年 6月 校舎改築開始。(創立90周年事業)
平成9年 11月 創立90周年式典を行う。(於日本工業大学)
平成10年 3月 校長小野幹郎退任。
平成10年 4月 第6代校長に町田廣安就任。
平成11年 3月 新校舎改築第1期工事竣工。
平成11年 4月 高校月2回の週5日制を導入。
平成13年 3月 新校舎改築第2期工事竣工。
平成14年 3月 新校舎竣工式典を行う。
平成14年 3月 副理事長小笠原朋憲退任。
平成14年 3月 校長町田廣安退任。
平成14年 4月 第7代校長に大森和夫就任。
平成15年 6月 改築工事完成記念としてモニュメント2基完成。
平成17年 4月 理数工学科、国際工学科設置。(平成17年2月17日認可)
平成18年 4月 理数工学科と国際工学科を男女共学とする。(平成17年5月23日受理)電気電子科を電子情報システム科に改名する。(平成17年7月29日受理)
平成19年 6月 100周年記念ホール竣工。
平成19年 6月29日 創立100周年記念式典を行う。(於帝国ホテル)
平成19年 7月22日 創立100周年、新座少年少女合唱団100年を歌う開催。(於100周年記念ホール落成記念)
平成19年 8月13、14日 創立100周年、NITCUPジュニアバスケットボール大会。(中学校)(於駒沢体育館、本校アリーナ)参加校男子6校、女子6校。
平成19年 9月8、9日 創立100周年、ミニ鉄道フェスティバル開催。(於日本工業大学)
平成19年 9月15日 創立100周年、暴れ太鼓と落語の会開催。(於100周年記念ホール)鼓舞紫、三遊亭右左喜、柳亭小燕枝
平成19年 11月4日 100周年記念歌「その翼で」発表会開催。(於アリーナ)
作詞・作曲 河村隆一が歌う。
平成20年 3月11日 創立100周年、春の芸能鑑賞~狂言を楽しむ会~開催。(於100周年記念ホール)演目「末広がり」善竹富太郎、善竹十郎、善竹大二郎、「寝音曲」善竹十郎、善竹大二郎
平成20年 4月 日本工業大学付属中学校、日本工業大学付属東京工業高等学校を日本工業大学駒場中学校、日本工業大学駒場高等学校に改名する。(平成19年11月12日受理)
普通科設置。(男女共学)(平成19年11月12日認可)
中学校を男女共学とする。(平成19年11月12日受理)
平成24年 3月 校長大森和夫退任。
平成24年 4月 第8代校長に吉田忠雄就任。
平成27年 3月31日 下田寮廃寮。
平成28年 7月 創立110周年記念建設事業(校舎大規模リニューアル工事)着工。
平成29年 3月 校長吉田忠雄退任。
平成29年 4月 第9代校長に大塚勝之就任。
平成29年 9月 創立110周年記念建設事業(校舎大規模リニューアル工事)竣工。
平成29年 12月 創立110周年記念建設事業(赤倉山荘リニューアル工事)竣工。
平成31年 4月 新校歌及び愛唱歌「夢」を制定。
令和元年 8月 校舎大規模リニューアル工事(空調取換え工事)第2期竣工。
令和2年 9月31日 地下改修工事竣工。(トレーニングルーム、トレーニングスタジオ)
令和3年 4月1日 普通科文理未来コース、総合進学コース・英語国際クラスを新設。
令和3年 9月24日 日駒図書館竣工。
令和4年 10月26日 大石和太郎特別記念講演。(115年の工業科運営終了)
令和5年 3月5日 工業科終了記念文集発行。
令和5年 10月1日 ひまわり棟竣工。
令和6年 1月24日 工業教育の碑除幕式挙行。

『工業教育の碑』


日本工業大学駒場中学・高等学校【日駒】は2023年、115年に及ぶ工業教育運営を終了し普通科専一校になりました。
東京工業高等学校【東工】時代の東工らしさは、誰に促される訳でもなく、今の日駒の生徒、先生達が引き継いで、大切にしながら成長を続けています。
東工が日駒になっても決して変わらないもの、その根本精神を柳澤理事長先生が起草され石碑に刻まれました。