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ハロー日駒vol.79『新幹線開業と伝説の人』
2024/10/4 (金)
ハロー日駒

(2024年10月4日 更新)
Vol.79『新幹線開業と伝説の人』

ミニSL製作のカリキュラム導入やミニSLの国際大会開催などの活躍歴を持つ元本校教員の大石和太郎先生(91歳)。何よりも1964年10月1日の新幹線開業初日の一番列車「ひかり2号」の運転士を務めたという知る人ぞ知る伝説の人でもあります。1953年に国鉄に転職し、特急列車「こだま」や「つばめ」の運転士などを務め、まさに日本の「鉄道(運転)」技術を支えた第一人者の1人なのです。
新幹線開業60年の還暦を迎えた今年10月1日。読売新聞や日経電子版、NHK総合TVなどのメディアは新幹線開業関連の話題をそれぞれの切り口で伝えました。
あらためて新幹線開業は国の威信をかけた取組であり、近代日本の発展の歴史の象徴だったことを伺わせます。その表舞台や裏舞台の様子は実に興味深いですね。

先ずは日経電子版の10月1日発信記事から一部抜粋します。
1959年(昭和34年)4月20日に新幹線開業の起工式が執り行われ、開業期日が1964年10月に決定。東京オリンピックの誘致が新幹線着工と同じ日の5月26日に決まり、1964年10月10日が開会式と確定します。開会式までには何が何でも間に合わせなければならないという裏舞台の話が日経電子版の記事。ここから常識外れの全長500キロ超の全線開通の突貫工事を開始。用地買収問題もあり全線開通は、何と1964年7月1日。開業まで残り僅か3ヶ月。初の新幹線創業、本来なら開業1年くらい前に全線開通の上で試験走行したかったが、そうも行かなかったという衝撃的事実もありました。
NHK総合TV放送の10月2日特番『新幹線タイムマシン』に出演した大石先生は当時の様子を「運転士の養成も急務だったが、試験走行(試運転)が大変だった」と語っています。
当初は東京から新大阪間を最速3時間10分としていたが、開業初日の走行は最速4時間と指定された(安全面を考慮して最高速度160キロで走行せよ)。その4時間走行でさえもままならなかったらしい。車両や線路、信号装置などの不調が相次ぎ、最速4時間走行の実現は何と、1964年の9月過ぎというから驚きます。
そうこうしながら迎えた開業初日。以下は読売新聞の表舞台の記事から。
「大石さんはあえて、京都市のトンネル内をゆっくり走った。そして、大津市付近の直線で速度を上げた。次の瞬間、運転席にある速度計は210キロを指した」とあります。
後に大石さんは『記者や乗客たちが期待しているのが分かっていたから、然るべきところでスピードを上げた。驚きと喜びの入り混じった歓声が上がった』と吐露しています。運転士の運転士たるところは「定時走行」。経験と勘によるアナログ技術が今でも王道。大石先生曰く「時間調整のため新橋駅あたりで山手線に抜かれる珍事もあったが、定刻通り午前10時ぴったりに東京駅のホームに到着した」と胸を張ります。
こうして10月10日東京オリンピックの初開催に間に合った10月1日新幹線初開業でした。


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